バベルの図書館は完成しない

Extended outer memory module
for my poor native memory.

Posts:
2020/09/28 gendoc という YAML からドキュメントを生成するコマンドを作った
2020/09/13 ISUCON10 の予選を 7 位で通過した
2019/12/01 Puma の内部構造やアーキテクチャを追う
2019/05/27 Golang の正規表現ライブラリの処理の流れをざっくり掴む
2019/04/29 InnoDB の B+Tree Index について
2019/04/29 InnoDB における index page のデータ構造
2019/04/28 InnoDB はどうやってファイルにデータを保持するのか
2019/01/06 Designing Data-Intensive Applications を読んでいる
2019/01/03 年末年始に読んだ本について、など
2019/01/01 Ruby から ffi を使って Rust を呼ぶ
2018/11/10 ブラウザにおける状態の持ち方
2018/07/01 Rust で web アプリ、 或いは Rust における並列処理
2018/05/14 なぜテストを書くのか
2018/05/13 Rust で wasm 使って lifegame 書いた時のメモ
2018/03/12 qemu で raspbian のエミュレート(環境構築メモ)
2018/03/12 qemu で xv6 のエミュレート(環境構築メモ)
2018/03/03 Ruby の eval をちゃんと知る
2018/02/11 Web のコンセプト
2018/02/03 Rspec のまとめ
2018/02/03 Ruby を関数型っぽく扱う

ピュアに課題と向き合いたい欲求

仕事での評価期間があった。今いる会社では半年単位で評価が行われる。振り返りを書いてみるとどうにもこの半年は何もやっていなかった気がする。もう少しちゃんと言語化すると、当初立てていた計画はことごとく負け越したしそのことへの対応もさほど打てなかった、結果的にしょっぱい成果を積み重ねたような感覚だ。

一方でフィードバックでは上司から「確かに十分でない側面もあったが、期待値に対してよくやってくれた」といった趣旨の話があり、僕が今ダウナーな気分になっているだけで実際には評価すべき箇所もあるのは間違いないと思う。

同時にそのフィードバックを聞いてから考えるうちにたどり着いたのは、僕は自身のグレードや評価や給与は実はどうでもよくてピュアに課題と向き合って結果を残すことに興味があるのではという可能性だ。無論評価されたいしたくさんお金もらえたら嬉しいしそういった尺度で周囲と自分を比較して優越感を覚えたり安心を覚えたりすることも正直なくはないのだと思うけど、考えてみるとその先で評価や報酬を何に使いたいのかという明確な目的はあまりない。今のところご飯は毎日食べることができているし。

僕はこういう漠然として短絡的な欲求に判断を狂わされることが多いのだと思う。(評価や給与を求めることが誰にとっても短絡的という話ではなく、おそらく僕にとってそれは短絡的な欲求であるという主張) しかし長い期間での自分の精神的な健全さを考えると、会社から今の自分に期待されている役割は僕にとってはさほど重要ではなくて、自分は自分の見えている範囲で常にベストを尽くしたいしそこに対して結果を出したいのだと思う。(同時に、今は嫌っている評価制度などそのもの自体はいずれ僕は人生でしっかり向き合うことになりそうな予感がある、めっちゃ嫌だけど、自分は自分の嫌っているものに引き寄せられる呪いみたいなものがある。)

ここまで書いて短絡的欲求を取ることで長期的には損していく、というような構造は実は普段の仕事への取り組み方でも見られたことに気づいた。とにかく目の前に飛び出してきた問題を反射的に倒しにいくような動物的欲求が強くて、物事の優先度付けとその短い周期での更新が苦手なのだ。動物的欲求と書いたがこれは本当に動物なら誰でも抱えている性質なのかもしれないな。みんな性質としては抱えているが、優れたアウトプットを出している人の何割かはこの性質との向き合い方が上手いということなのかもしれない。

さらに話は脱線するけど最近 Apex Legends を友達に誘われてはじめた。そこで思うのは敵が近くにいることがわかるとそれしか見えなくなって追いかけて負けるみたいなパターンが多いということだ。上手い人のプレイ動画を見ると接敵して戦闘しつつも常にいろいろなことを考えているし、時に退く選択もそれなりの確率で採っている。こういったことを自覚して自分の行動を直していくのは面白い。始めたての頃よりはマシになってきた自覚がある。ゲームというのは他の人が何を考えてどうやっているのかの情報が多い体験だから学び改善につなげやすくてそこがすごくいいよな。

ゲームでの自己の客観視と自分の性質の修正のための繰り返しの試行は、自分が学習して改善していける存在であることを思い出させてくれる側面もある。そういえば僕は自分のことを「何やっても 2, 3 回は大きく失敗するけどそこから先はちゃんと直していけるはずの人間」だと評価していたのだった。同時に残念ながら能力的には普通なのと運みたいなものはあまり無いので、改善すべき点を改善してベストを尽くしてもダメなときはダメであることも(麻雀で)学んでいる。

そんなわけで自分がダメだったと振り返ると最終的によくわからない前向きさを取り戻して帰ってくるという、自分の根のポジティブさを自覚させられるイベントがあったという話でした。

2021/05/29 11:54
tags: minipost
This site is maintained by furuhama yusuke.
from 2018.02 -